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湯河原・真鶴の野生生物を観察し、写真に記録すること。
「ヤブレガサ」と雑魚番屋の「握り7貫」と包丁研ぎ

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「ヤブレガサ」が傘を開こうとしている。これの天ぷらは甘くて美味しい。

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ネタを大きくできれば両サイドを締められ、きれいになるが、それがなかなか難しくて・・・。

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下が最近ヤフオクで手に入れた「へんこつや」の出刃。柳や出刃の切っ先3寸の曲面を平に研ぐのは難しい。

世間はコロナウィルスですごいことになりつつあるが、私の方も釣り船が減り、雑魚番屋の客の無い日があったりでこれからどうなるんだ状態。しかし、考えてみれば人間も生物の摂理の中にあるわけで、海の中でイワシが毎日他の魚のエサとして大量に食べられているのと同じで、ウィルスの食料とされているのだろう。また、魚や野生動物に寄生虫を飼っているものもたくさんあり、ちょっと違うかもしれないが似たような構図ではなかろうか。まあ、ウィルスは単純な構造から生物でないとされるけど、宿主は必要だし、感染るわけだから私にとっては同じようなもの。人間の大腸の中にも億の数の菌類がいるのだがコロナは強毒で目に見えないから怖い。

そんな世情の中でも私は時々林道へ行って山菜を採ったり、釣った魚の料理や、包丁研ぎの練習をしたりで、のんびりと過ごしている。写真上は山菜の「ヤブレガサ」まだ出始めでどれもこれから傘を開いて行こうとする力強さを感じる。若さだね。今年はフキノトウで出遅れ地元で栽培したのを農協で買ったが、タラノメはたくさん採れた。太くて長く伸びてないのが天ぷらに最高だ。ワラビはまだで数本見ただけであとしばらくかかるようだった。森は桜は終わったがこれから新緑に染まってくる良い季節、なんだがね・・・。

写真中は最近よく作るようになった握り。まだ団子七兄弟の域を抜けないがお客さんに試食してもらい「とても美味しい」とお世辞を頂いている。寿司作りの問題点はいくつかあるが、いま練習中なのがネタの切りつけ方。私の場合、釣魚の小さめなものが多いので、ネタが小さくなり気味で、大きさも揃わないことが常だ。魚の柵の筋から順目や逆目を見極め、包丁をよく寝かせ、出来上がる形を想像しつつ、刃元から切っ先まで長く使い引く。背側を下に置くか上にするかし、高い山を外に手前を低くが普通、とかも問題である。このへんがしっかりしないときれいなそぎ身が取れないのだ。それと、魚によって切りつけ方や包丁の方法も違うことも多い。例えば今は何とかできるようになったがサバやアジの薄皮を残した皮の引き方。イカに鹿の子切りをしないととても硬くて食べられないのもあるし、先日は1,4キロのアオリイカの厚い身を3枚にへぐのになんとか成功した。また、お客が水深200mの海底から釣り上げた5キロの大ダコの足を1本もらい、これを塩揉みして茹でたが、こんなのも大切な下処理だ。

最後の写真下は雑魚番屋のブログにも載せたが、最近手に入れた「へんこつや」出刃と片刃和包丁の切っ先3寸の研ぎ方のこと。柳刃や出刃の切っ先3寸の曲面(シノギ筋から刃先までの切り刃)を砥石だけで研ぐのが難しく、ごく最近まで写真のよななだらかな曲面にならなかった。曲面に平な砥石を当てたら接点は一本の幅のある線となる。しかも包丁は切っ先方向へ段々薄くなっているから曲がりの強いところはごく細い線の接点だ。この砥石との角度や力の入れ加減で、色々な筋痕が付いてしまい、ヘタッピーの研ぎは切っ先3寸の切り刃が凸凹し光の乱反射状態になるのだ。で、これが平に研げるようになったらここからが包丁研ぎ本番の始まりだ。まずは刃付けで、切り刃をベタに研いでカエリが全面に出るようにする。カエリを出さないぐらいの研ぎの時でも刃先を爪に当てて滑るところが無いようにする。これで新聞紙がスッースッーと引っかからず切れるようになる。新聞紙を切るのは硬いコピー用紙などより難しく、滑るところがあればすぐ引っかかる。このぐらいの刃が付けば上出来だろうと思う。私の場合、出刃は刃元側1/3は40度ぐらいの段刃にしてあるからその調整が必要だ。そして最後は永切れを狙い糸切り刃を付けて終わりにするが、私はこれが怖くてなかなか上達しないのだ。せっかくよく切れる直刃にしたのに30度ぐらいに包丁を立てて砥石に当て、刃先を鈍角にするのだから失敗するともう一度一から研ぎ直しなんてことにもなる。雑魚番屋はお客は少ないとはいえ、魚は一般家庭より遥かに多く捌くから直刃ではすぐ切れ止まりする。まあちょいちょいっと仕上げ砥を当てるだけで復活するから糸刃にしなくてもいいかもしれなが、カエリのバリが取れないのもあり、糸刃付けでバリ取りする状態。この時の力の入れ加減が難しい。このあたりまで出来てやっと一人前の包丁研ぎなのだろう。



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縄文号とパクール号の航海

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53mの大木を刳り抜いた丸木舟のアウトリガーカヌー「縄文号」これでインドネシアから日本まで走る/
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3万5000年前の舟を考えていて引っかかるのが、5万年前とも7万年前とも言われるオーストラリアに渡ったアボリジニの先祖達。その間にはたしか100キロ以上の海があり、舟を使うしかないのだけど、果たしてどんな舟を使って渡ったのだろうか?人類の先祖、ホモサピエンスが登場したのが20万年前と言われていて、現在の全人類と共通のミトコンドリア遺伝子を持つ一人の黒色女性ミトコンドリア・イブがアフリカにいたのが12万年前。どの時点で言葉や火を使ったり石器を使えるようになったのか?また、7、8万年前にアフリカを出たときは、もう舟を造るぐらいの技術を持っていたのだろうか?分からないことだらけだ。

最近は古代の舟を調べつつ、人類の起源から世界史まで読み漁っているが、外洋を走る丸木舟の姿はおぼろげながら見えてきた。東南アジアにあったスンダランド周辺では古くから小形舟で外洋を走り回っていたらしいから、南のカヌーに何かヒントがないかとネットで調べていたら、なんと冒険家「関野吉晴」さんが、まさにそんな舟を造り、インドネシアから日本まで日本人のルーツをたどる旅をされていた。途中台風や嵐にあったりで、4年がかりとなったが、それでも丸木舟のカヌーで4700キロを走りきっていた。冒険家「関野吉晴」さんの名前は昔から知っていたが、リヤカーを引いたり、自転車に乗ったり歩いたりしともかく世界中を人力で回っているイメージしかなかったが、それはアフリカを出た人類の祖先が南米のチリまで到達する旅を逆に辿ったものだったのだ。そして縄文号とパクール号の旅はまさに私の知りたかった、南からの日本に来た先祖のルートをどんな舟なら可能かまで調べる、壮大な実験だったのである。

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フィリッピンのアウトリガーカヌー「大型バンカ」/これでフィリピンから日本まで2600キロを走る/
Pasted Graphic 1 のコピー

この航海をネットで発見する前、も一つ昭和21年5月にフィリピンのルソン島近くのポロリ島から敗戦を知らない残兵9人が全長6m、幅1m、深さ1mで大型の帆を持つカヌー(バンカ)を盗み、一路日本を目指した記事を見つけていた。途中3度も大時化に合い、転覆したり、ロープで体を船体に縛り付けて落とされないようにしたり、2600キロを30日かけて全員無事にたどり着くというのがあった。小型のバンカは前々項で紹介してるが、それの大型でやはりアウトリガーを付けたもの。関野吉晴さんの縄文号も全長6mで、これば現地の高さ53m、太さ2mの木を刳り抜いた丸木舟。アウトリガーは竹である。まさにこのバンカを真似たものだろう。

ただ、縄文号は風がないと時速2キロの手漕ぎになるし、ヨットみたいに逆風をうまくタッキングして上れないようだった。このヤシで編んだ帆、順風でも10mの風なら快調に走るが、15mだと危なくなるようだった。この辺はもう一工夫できるかもしれない。やはりもう一枚小さなジブセールのいようなのを用意したほうがよさそうだ。

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ポリネシアを古くから走り回っていた双胴カヌーを再現した「ホクレア号」/ただ昔のものより大型だ/
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これも再現した双胴カヌー「ハワイロア」だが、これは大木を刳り抜いた丸木舟/
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1780年頃の絵で、たぶん再現されたものの元の舟だろうしかし、おかしな格好をしてる/


あと、ポリネシアの大型双胴カヌー「ホクレア号」もネットで見つけたが、これは世界を4周半も回っているすごいもの。ただ一度時化で遭難し、その後は伴走船を付けているそうだ。ま、これはポリネシア海域を走り回っていたハワイの舟を再現したものらしいが、FRP製で当時のものよりかなり大型のよう。関連映像かに「ハワイロア」という木造の双胴船があり、こちらはカナダのインディアンから巨大な木を手に入れ(ハワイを探してもなかったそうだ)、刳り抜いたもの。下の絵はたしか1780年ごろ描かれたもので、ハワイにはタヒチあたりからAD900年ごろに人が渡って来ているから、最初からこのレベルの大きなカヌーがあったのではないだろうか。

2万年前、3万年前は海岸線が今より100m以上下だった。なので、この頃の遺跡は全て海の底で内陸部の湖周辺の狩猟採取民の遺跡はあっても海岸に住む海洋民のものは残ってない。縄文時代の丸木舟もほとんどが湖沼で使われたものだろう。なので海で使われた舟は想像するしかないのだが、これまで色々調べて来て思うのは、3万5000年前、20キロの海を渡り神津島へ行ったのは小型のバンカかサバニで、5000年前に女子供、イノシシを連れて八丈島へ渡ったのは、大型のバンカ、もしくは双胴のサバニかイタオマチプ。ま、このあたりではないだろうかと思うのだ。

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3万5000年前でも丸木舟でこのぐらいのアウトリガー・カヌーが造れただろう、きっと/縄文早期なら縄文号クラスも可能かも

また、いまから1万6500年前の青森の津軽半島の遺跡から日本最古の土器と矢じりが発見されている。縄文時代は1万4000年ぐらい前からで、この発掘で縄文時代が遡るかと言われているけど、このまだ氷期の寒い青森に弓矢の糸を作る植物はないし、その後数千年土器を含まない遺跡ばかりで、この頃の海人は舟で沖縄や台湾あたりまで出かけて交易をしており、そこで手に入れたものではないかと、以前紹介した「倭人の歴史」の著者が推測している。たしかに少し前の項で紹介した福岡の古墳の壁画に描かれたのはアイヌのイタオマチプそっくりだったし、津軽半島ならアイヌのイタオマチプに乗っていても不思議がないが、津軽から台湾までは3000キロ以上あり、ちょっと飛躍しすぎだろう。5000年前、糸魚川から三内丸山まで800キロの交易はたしかにあったから、この時代でも片道1000キロの交易はやってたかも。新潟から福岡まで行く舟、福岡から沖縄まで行く舟、沖縄から台湾へ行く舟と継いで交易すれば、日本になかった土器が手に入るかもしれない。
果実をそっと握ると、手の中でパチパチパチと


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ムラサキケマンの種子のサヤがはじけるの、知らなかったな〜〜〜。植物の専門家はみな知っている常識だろうが、私の場合まだ名前を覚えただけのシロウト。たとえば松ぼっくりの観察のように、一つ一つの植物にそれぞれ何万年もの独自の進化があるわけだし、これからはそのあたりを見ていかなきゃ、ね。

しかし、このムラサキケマンのサヤのはじけ方には驚かされた。サヤ一つを指で摘むとパチンとはじけ、指から逃げてしまう。逃げられないよう、やさしく握るようにすると、手の中で暴れ、くすぐったい。で、みるとバネのように丸まっている。面白いので、サヤを数個同時に握ると、手の中でパチパチと何か生き物が逃れようと暴れているふう。これは面白い。そんで、ムラサキケマンを見つけるたび、握ってあそんだ。でも、熟れたのだけだね、はぜるのは。

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たしか林道へ行ったのは金曜日。この日はなぜか猛禽がやたらあちこちで見られた。写真のノスリは何度も出てきたし、オオタカの鳴き声がしたし、ツミかハイタカが滑空しながら、速力が落ちないようときどき羽ばたきをして通り過ぎたりした。たぶんいまごろ孵化した子供がいて、エサを狩るのに忙しいのだろう。

今日はお客がないので、また林道へ行ってこよう。


モモンガってことない?

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フクロウの巣の樹洞を見つけた2005年だったか、穴の中に20センチぐらい堆積していたゴミを取り除いたときに出てきた糞と羽根。

低い穴だけど誰かが住み着いてくれないかと掃除したが、たぶん私が気づかないだけで当時からフクロウやその他多くの動物が出入りしていたのだろうと思う。

で、これをアップしたとき、深く追求しなかったが、たしか隊長がネズミの糞の可能性を指摘していたな〜と思い出した。
いまネズミを調べていて、じゃー何ネズミ? と思ったのだ。

そんで、色々調べていたら、ン? モモンガの糞にこれとそっくりのが出てきた。
http://gifuhonyuu.sitemix.jp/fieldsign/main-fieldsign.html

フクロウの巣の中にネズミが糞をするのも何だしな〜と思ったり、コウモリの糞はもっと不定形だし、こんなところで寝るのもな〜と思ったり。

ま、野生動物は何をするか分からんけど・・・モモンガが入ってもおかしくはない。だけど林道にいる?

今日はこれから海。

魚食分化は残るか?

魚食文化はただ魚を食べるだけではない!   
  
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いま書いているエッセーの内容は魚食文化についてのこと。

魚食文化はただ魚を食べるだけでなく、京料理を代表とする和食の中心であり、器だとか包丁、漆塗りだとかその他多くのものを長く磨き上げ、美しくしてきている。

ま、そんなえらそうな文章ではなく、魚は食べても、高級料亭で一流の料理を食べる人が少なくなり、一級の職人が育たない、というような話を、釣りの方から見て書いたもの。

もう少しで終わるのだが、またパソコンでエレメントをいじくっている。

私は魚料理をたまに造るから、いい器が欲しいとときどき思う。
けど、やたら凝った模様が入っているのが多く、これでは魚が負けてしまうとよく感じる。
ならば真っ白い皿で充分じゃないか、なんて、芸術家に失礼なことを思ってしまうのだ。