湯河原・真鶴の野生生物を観察し、写真に記録すること。
縄文人はどんな船で外洋を走ってたのだろう?

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日本北回り半周4000キロを走った小型ボートの船型。全長5,5m(18,5フィート)幅2m。船首や舷側、船尾が大波にどこまでも上がっていくようになっている。

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アイヌ人が5世紀以前にも外洋を走り回った丸木舟に横板をくくり付けた舟。(綴り舟)

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明治20年ごろのアイヌの丸木舟。主に荒れない海面や湖で使われたものだろうと思うが、丸木舟としたらすばらしい船型をしている。弓矢があってこれで魚を撃っていたのがわかる。ん?海鳥?


最近「縄文人見習いさん」という方と知り合い、縄文人が外洋を自由に走り回っていたのを知った。この方、糸魚川でヒスイの加工をされているのだが、5000年前、糸魚川から青森の三内丸山までヒスイが海路で運ばれたのがわかっているそうなのだ。そんで、丸木舟を造ってみたり、シーカヤックで糸魚川から三内丸山まで3ヶ月かけ、総距離800キロの冒険の旅をされている。かなり危険なものだったようだ。

しかし、縄文人がどんな船を使って外洋を航海しいていたかは分かってないそうだ。縄文時代の遺跡からは丸木舟が200ぐらい発掘されているから、丸木舟があったのは間違いない。でも、湖で使う底の浅いのや、以前紹介した男鹿半島の重い舟だとすぐ転覆するのが想像できる。そこで、荒れる外洋も走ることができる舟とはどんなものか、とりあえず基本性能だけでも確認しておこう。

舟は細いと直進性がよく、小さなエネルギーで速度が稼げる。反面、横揺れが激しく転覆しやすいし、たとえば大波の山から谷へ下るときに舳先が海面に刺さり、そこを支点に横転する。
一方、幅広は進むのに抵抗が強く、大きなエネルギーがいる。しかも直進性が悪い。
だけど、左右の安定はよく、転覆の危険が少ない。また、船底の形は平らだと波を叩くし、丸いとコロコロする。ボートにみられるようにV型がキツいと波あたりはいいけど、斜め後ろからくらうような波だと押されて横だおしになる。

日本半周したボートはこれらを考慮し造ってあり、予期しなかった3メートル以上の波でもなんとか乗り切った。このボートは陸揚げしても倒れないだけの平らの部分と、船首側はVで両サイドは少しトリマラン(三つの山)的に出っ張り、舷側が海面から30センチもないのに横からの波にも強い。過去には5メートル近いえぐれた波の斜面にへばりついてスロットル操作で乗り切ったことがある。波長が短く、すぐ後ろに次の波頭がせまってきていた。このとき40フィートクラスのクルーザーが後ろを同方向へ走っていたけど、ブローチング(後ろ波で横を向く)をくらい戻っていった。また、このボート波あたりがソフトで1,1〜1,2メートルぐらいの白波の中なら20ノット以上での巡行が可能である。
ま、パワーがあるからそんな芸当もできたけど、縄文の舟でも外洋を走るなら最低でも3メートルぐらいはしのげないと命がいくらあっても足りないだろう。

だけど、縄文時代のことである。鉄器がなくて石で削るだけでどこまでの舟ができるだろう。一つの可能性としてアイヌ人が5世紀以前に使って外洋を走っていた丸木舟に横板っをくくり付けた舟がる。アイヌ人は舟造りの技術が高くて丸木舟を極限まで薄く削り、波によく反応するよう船首や船尾の形もすばらしい。

明治20年の丸木舟の写真を見ていただきたい。同じような形をした2杯だが、右の方がより性能がよさそう。丸太が太かったのか横幅があり、船首も平らで波に突っ込みずらいし、船尾もそう。これだとちょっとくらい海へ出たって転覆しないだろうと思える。ま、とりあえず基本性能だけを。
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今年の春は木イチゴを一度も食べなかったな〜

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道路の真ん中に割れもせず転がっていた不思議なガビチョウの卵。

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3、4年越しで初めて見ることができたトモエソウの花。


現在私の体重は72キロ前後で、71,5キロだったり72,5キロだったりする。肥満度がこれでゼロになったからもう痩せる必要は無くなったが、年齢のせいか足が細くなってきたような。体が軽いから軽快であるし、歩いて疲れることもないけど、これ以上筋肉が落ちるのはみっともない。せめて週2回ぐらいは歩かないとと、昨日久しぶりに林道へ行ってきた。

運動のための歩きは義務的でいやだけど、でもまあ楽しみがまったくないわけではない。久々にリュックを背負い、レンズを3種類とカッパなど入れてトコトコ8、9キロほど歩いた。山は霧に覆われ、霧雨が降っていたけど、暑くも寒くもない気持ちいい歩き。今年は木イチゴを一度も食べてないからどこかに無いだろうかと探してみたけど、一つも見つからず。桑の実は終わっているかも、と思ったが以前ならこの時期、まだわずかに残ってる木があったけど、これもまったくダメ。温暖化でいろいろ早くなってきているのだろうと想像した。海の温暖化はすごいことになってきてるけど、陸も海面の温度と連動してるから、やはりなのだ。先日、初島でイサキ釣りをした僚船がなんと沖縄の魚タサカゴを釣り上げ、メールで写真を送ってくれた。ときどき南方系のウメイロモドキなどが釣れたことはあっても、まさかタカサゴとは。ちゃんと食べられる成魚でありますぞ。今年はカサゴ釣りをしていてアカハタがよく釣れるけど、これも小笠原など南方系の魚で、以前真鶴周辺ではほとんど見られない魚だったのだ。

温暖化とは違うだろうが、林道の生き物達の勢力図も見えないところで変化しているだろう。歩いていたら、道路の真ん中に青い丸いものが転がっている。近づくとガビチョウの卵なのがすぐ分かったが、拾い上げるとどこにも傷がないし、中身も入っているよう。ガビチョウはここ10年でもっとも数を増やした鳥と思えるが、しかし、なぜここに落ちている?

カラスが落としたのなら割れるし、イタチやテンなら持ち帰らないだろう。子供のために数個咥えて運ぶ途中1個落とした?それともホトトギスなどが托卵するため蹴り落とし、ころがった?そうかもと、茂みを探しても巣は見つからなかった。どうしたんだろねほんと不思議だ。

今回、ひょっとしてと期待したのが写真のトモエソウ。ついに咲いているところを見ることができたのだ。3年越し?4年越しかもしらん、やっと念願達成だ。2株あったのが1株しかなかったけど、昨年より枝がたくさん出ていて、実も多い。林道のすぐ脇にあるからかなり目立つけど、盗られずにいてくれた。この2輪の花が最後のようだからとてもラッキーだった。しかし、シベの多い花だな〜。
あとはヤマウドの脇芽と山椒の実をいただき、動物の食痕など探しながらのんびり運動的散策をしたのだった。
雪融け水を確認


2014:2:16:9549
熱海市との境、千歳川河口付近。中央左の白い山が幕山で、麓に幕山梅林がある

2014:2:16:9532
船の水温計が13,5度まで下がった。雪融け水が流れ込んでいるのだ。

2014:2:16:2:9562
少し沖から撮影しいたもので、左端が千歳川、右端に新崎川の河口がある。このエリア、埋立て地なんだけどね。



16日、千歳川河口の浅瀬でホウボウ釣りをしていて、山は白いし、雪融け水が流れ込んでいるはず、水温はどうなんだろと水温計をみると、それまで14,6度あたりを示していたのが、いきなり13,5度まで下がったりする。通常、0,5度ぐらいの差だから雪融け水の影響だろう。

昨日も河口付近の最低は13,5度で、少し沖合で14,1度〜14,9度まで上がったから、海面の水温はまだら模様状態だったかもしれない。
詳しく調べなかったが、河口から500メートルぐらいまでで13,5度を確認した。

写真上はその千歳川河口付近で、湯河原町の西の外れ、熱海市との境になる。また、中央左に見える白い山が幕山(標高625m)でその下を流れるもう一本の川、新崎川の河口は下の写真右端にある。
この二つの河口から山の栄養塩が流れ込むから、湯河原の海によくプランクトンが発生し、シラスも育つ。

森と海の実に小さな自然の完結サイクルだが、これまでかろうじて壊されずに、保たれてきている。
隊長が藤沢の境川のコンクリート三面張りや行政のダメさを嘆かれていたが、湯河原も林道の不必要な余計な工事だけはやめてほしいと思う。

自然・環境行政は、シカやイノシシがこれ以上増えないよう、川や森をいじらないよう、数十年先を見据えて進めてほしいね。