湯河原・真鶴の野生生物を観察し、写真に記録すること。
日本人が海洋民族だったのは間違いなさそうだが・・・

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縄文時代の壁画(訂正:􏱺􏱻􏱼􏵕􏱆􏵖􏵗􏵘􏱺􏱻􏱼􏵕􏱆􏵖􏵗􏵘􏱺􏱻􏱼􏵕􏱆􏵖􏵗􏵘福岡県の古墳􏱷時代後期(􏲄 6世紀􏵙 􏵚)に築造された􏱵敷􏱶(め􏴻ずらしづか)古墳にかかれた􏱸􏱨ものの一部)でアイヌのイタオマプチそっくりな帆を張った舟。舵櫂(練り櫂)は兼用したのか形がそっくりで2本の帆の支柱も同じ。


まだ旧石器時代の舟のことを調べている。初めて船外機付きゴムボートを買ってからすでに30年以上経ち、ボート雑誌の連載などで日本中の海を走り回り、ボートの設計にまでかかわってきたのだから、そうそう簡単に諦められないのだ。4万年前頃にホモサピエンスが日本列島にたどり着いたのは分かる。だけど、3万8000年前に神津島の黒曜石が海を越えて関東まで運ばれたというのがどうもピンとこない。舟が無ければ不可能なことだし、しかも性能のいいものでないとダメなわけだからますます不思議になる。

それに、もともと神津島に黒曜石があると知ってたわけではないはずだから、神津島まで漁に出ていたことになる。ま、わが自宅からも伊豆七島の大島、利島、新島などは見えるから、性能のいい舟さえあれば行ってみたいと思ったし、その後何日かか泊まり、釣りもした。きっと3万5000年前の人も同じで、キャンプを張って漁をするなんてことがあったかもしれない。私も日本半周したボートで神津の先の三宅島三本岳まで出かけたが、小舟で行く島はとても魅力的だけど、一度荒れると半端じゃないし、とても怖くて緊張するもの。それをモーターのない石器で造った小さな帆と櫂だけの舟で行くのだから、ちょっと信じられない。2、3回に一回ぐらい転覆するような舟ではとてもじゃないけど行けないだろう。ということは当時すでに相当な性能を持ってたはずだ。

話は戻るが、前項の「倭人の歴史」を書いた人は「伊藤俊幸」さんと言われる方で、それ以前はこれまた長い「日本人の起源」というHPを作られていた。色々調べていたら、同じような文章に行き当たり、たぶん間違いないと思った。ただ、(日本人の起源)はわりと歴史教科書的、考古学的な検証もあったが、(倭人の歴史)では歴史の常識から飛び出し、日本人の海辺に住む人々の中には日本海や東シナ海を自由に走り回り、中国人や海南のスンダランド(フィリッピンやインドネシアなどが陸続きであった頃の広大な平原)、オーストロネシア語族の人々と交易をしていたというふうに考察するようになっている。


このオーストロネシア語族は豊かな土地で舟の航海術にも秀でていて、インド洋を回り込み、中東やアフリカのマダガスカルまで出かけ、住み着いたとしている。これはDNA、Yの内容分布からそう考察しいているのである。
一般的な現在の日本人のルーツはシベリアから陸続きを南下した人たち、朝鮮半島から渡った人たち、南方から入った人たちの3ルートから来たと人々とされている。だけど、倭人の歴史ではシベリアから南下した人々を原日本人とし、南方からやってきた土器・稲作文化の人を縄文人とし、中国には海を渡る舟がないという中国の史書から、朝鮮からの南下は計算にいれてない。

倭人の歴史に記載されていたかどうか分からないが、このことから少し前の記事、沖縄のサキタリ洞遺跡で2万3000前の地層から発見された釣り鈎は約20000~22000年前にに沖縄に存在していた港川人の確率が高くなってっきた。港川人はその頭や顎の骨格からポリネシア人(オーストロネシア語族)のような風貌で、縄文人のような平らな顔をしていない。日本人のY遺伝子はほぼ8種類で構成されているけど、北海道、関東、関西、沖縄とそれぞれ比率が違い、それらを調べると、どう混血してきたかが分かるのだと。ちなみにアフリカを出たばかりのホモサピエンスのY遺伝子はC、DE、Fだだったよう(自信ないが)。ま、他と交わらず、一つの種で長くいると、Yの内容が限りなく一種に近づくということなのだ。

この項の本題は38000年前、もしくは35000年前に伊豆七島まで出かけて漁をしていたかということ。この黒曜石、関東の日本最古の旧石器遺跡から見つかっているし、時代もぴったりなので、この人たちが採りに行ったか、交流ある人々との交易だったのか。ともかく3万数千年以前から伊豆半島先端から50キロ以上沖合の神津島まで走る舟があったことは間違いない。沖縄から2万3000年より前に台湾方面から海を渡ってきた港川人がいるし、3万5000年は当たり前のように海へ漕ぎ出していたのだろう。また、オーストロネシア人かどうか分からないが、アフリカを出たホモサピエンスは約5万年前に南下してオーストラリアに渡っている。スンダランドとオーストラリアの間は海で隔てられていたから、その頃もうしっかりした舟を造る技術を持っていたのだろう。

しかし、関東で舟造りの技術を持っていたのは北海道へ南下したグループなのか、南のグループなんだろか? 北海道の原日本人(マンモスハンター)はのちに北海道縄文人→アイヌになるわけで、ある時期からすぐれたイタオマチプ(準構造船)を造るようになっているし、それが3万5000年前っだったのだろうか? シベリヤ経由なわけだから、寒さに対応し、毛皮で服や靴、テントを作ったりしてたろうから、器用に舟も作ったかもしれない。

今回は文章が長くなったから、縄文時代の壁画で(訂正:􏱺􏱻􏱼􏵕􏱆􏵖􏵗􏵘福岡県の古墳時代後期(􏲄 6世紀􏵙 􏵚)に築造された􏱵敷􏱶(め􏴻らしづか)古墳にかかれた􏱸􏱨ものの一部)アイヌのイタオマチプそっくりの舟があるので写真はそれを紹介するだけに。舳先に鳥がとまっているらしいが、波除の前後2枚の板と2本の帆柱、練り櫂か舵櫂があるからまず準構造船。波除から明らかに海で使われたものだろう。だけど、どこから引っ張り出したかメモし忘れ、どこの洞窟かとかはっきりした時代が分からない。でもたしか本州のどこかだったような・・・。
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