湯河原・真鶴の野生生物を観察し、写真に記録すること。
3万5000年前の神津島は伊豆半島から20キロと近かった!

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いま私の部屋の壁に728×1030 mm(B全)の古いポスターが貼ってあり、それは伊豆半島東南端(河津~下田~田牛)から利島、新島、式根島までの地図であり、海の深さを水深10mごとに色分けし、釣れる魚を白文字で書き込んであるもの。

これで2万年前の海水面が120m低かったときの陸地を見ると、利島、新島、式根島、神津島(たぶん、水深が途切れている)は陸続きで、下田から10数キロ沖合の神子元島沖まで陸地が広がっている。それに一番北の利島の北10キロぐらいまで陸になり、そのまた北になる大島の千波崎が伸びたところからたった10キロほどになる。

また、新島西沖には大きな「ヒョウタン瀬」と「高瀬」があり、どちらも水深の浅いところは数10メートルで、これも陸地だっただろう。高瀬と下田「神子元島」沖の水深100エリアの距離は20キロほど。高瀬と新島は陸続きではなさそうだが、たぶんん1、2キロの海峡があっただろうと想像する。

また、この海図には載ってないが、伊豆大島沖合には大きな「大室出し」と呼ばれる瀬があり、ここも多くが100メートルより浅いし、大島から房総半島の間に「沖の山」というこれまた最頂部の水深60mぐらいの大きな瀬もある。相模湾の熱海沖7、8キロには初島があるが、間が水深100mないので陸続きだったし、二宮沖10キロには水深60mの「沖の瀬」という大きな瀬があり、ここも陸地だっただろう。

3万5000年ぐらいから最氷期の2万年までの海面水位の変化を見ると、3万5000年で一度80、90mまで下り、2万年あたりで120mと最も陸地が広がっている。なので黒曜石が最初に運ばれた3万5000年あたりでは下田神子元島沖にあった広い陸地から新島沖の高瀬まで最短で20キロほどの航海だったろうと考えられる。現在の神津島は下田からでも70キロぐらいあるから、大冒険のように思ってたが、今よりかなり狭い海や利島や新島、神津島、途中に出現した島々に避難することを考慮したら、決して不可能でない船旅のように思えてきた。

それと、合わせて想像するのが旧石器人のもつ自然観察の高い能力である。この時代でも舟に乗るのは海人だったハズで、常に空や海を見て「観天望気」し、風や波がどう変化していくか予測できただろう。今の漁師はTVやネットの天気予報に頼り切っているけど、命がかかる昔の海人はあらゆる自然の兆候を見逃さなかったと思う。

もう一つ、丸木舟の準構造船はもし横転しても木だから沈没しないのがある。水温が高い時期なら数時間つかまっていれば嵐は収まるだろうし、起こせれば再び漕げるのだ。そう考えると、6、7メートルの底の浅い丸木舟でも3人ぐらいで漕げば、凪を見て2、3時間で行けるのではないか。

一番の疑問は石器時代の石で丸太を削って造る舟

しかし、まだまだ不思議は続いていて、3万5000年前から古墳時代に鉄器を使うようになるまでほぼ3万5000年間石器時代が続いていて、およそ1万5000年前の縄文時代の生活は遺跡などから少し見えてはくるものの、それ以前の2万年はどんなだったろうと思うのだ。長いよね、2万年という時は。その間にホモサピエンスの生活はどう変化していったのだろう。
沖縄のサキタリ洞遺跡から釣り鈎が見つかり、これがウナギの穴釣りに使われただろうと推測した。この貝殻を鈎の形に精巧に削り出す技術から考えると、かなり細いヤスリのような道具を使っていたことが想像される。

だけど、外洋を走る丸木舟を船底にした準構造船を作るには直径1メートル以上の大木を切り倒し、刳り貫き、舷側板を作り、穴を開けてロープで縛らなくてはならない。これを石器だけでどうやったのだろうと考えるとほんと不思議。ただ次の写真を見ていただきたい。

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左二つは石斧。その右は美しいアールの切り刄を付けた、たぶんノミやカンナのように使われるた? 右端はナイフ?

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驚くほど精巧に作られた黒曜石の石器。矢じりとされているが、石器の根元に書き込まれたナンバーからすると、かなり大きなもので、ナイフや穴空けのキリのようなような使い方をされたのじゃ、と考えた。左下のもろ矢じりの形のものも、大型だし、彫刻刀やヤリガンナのように使われたかも?

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石斧を使って木を切る実験をされていた。これ以外にも80センチと太い木も切り倒されていた。
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これは縄文早期、たぶん1万年以上前のもので、オホーツクの「トコロチャシ遺跡」から出土した驚くほど精巧な石器だ。上の写真の左2つは石斧で、これで木を切り倒したのだろう。石斧の性能に疑問を持ってたけど、色々実験をした写真などがあり、直径80cmの木を切り倒したものもあった。これで切ることができるのが分かったが、次は刳ること。これも石斧でおおまかに削れるだろうし、最後は右から2番目の切り刄が美しアールの黒曜石でノミのように削れば、限界まで薄く仕上げることができそうだ。

舷側の板もこのノミで平らにしていき、穴は細く尖った矢じりのような黒曜石をキリとして使えば、正確な円ができるだろうと思う。これの寸法が分からないが、書き込まれた数字から想像するとかなり大きいもののよう。矢じりというより、T字型に丸棒を取り付け、回転させて穴開けしたり、細かな細工に使ったりしたのではないだろうか。左の二つもかなり大きそうなので、矢じりではなく、柄を付けてノミや彫刻刀のような使われ方をしたのではないか。

な~んだやれるじゃん! 石斧の磨製石器は世界的にみると新石器時代に入ってからと言われているが、日本では3万年ぐらいのが発見されているし(たしか)問題ないだろう。

今日は遅めの海。
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