湯河原・真鶴の野生生物を観察し、写真に記録すること。
旧石器時代日本人の南からのルートはやはりサバニで?

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沖縄の古いサバニの模型/下は2ハイを組んだ双胴舟で、長距離の航行に使われたようだ
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慶良間の博物館にある丸木舟のサバニ


3万5000年前、大海を走り回っていた舟の形が少し見えてきたような気がする。その一つはアイヌのイタオマチプの原型で、もう一つは沖縄のサバニ。どちらも丸木舟の刳り舟を船底にした準構造船で、風があるときは帆をかけている。サバニの性能の良さは小笠原で初めて見たときから分かっていたが、まさか丸木舟を使った準構造船があるとは知らなかった。

写真は「新あすくのシーカヤック風呂具」から無断で借りたものだが、たぶん丸木舟を使ったサバニの模型だろうと思う。構造の図解にあるように、船底を丸木舟にし、舷側に板を足して造ったもの。イタオマプチそっくりだが、かなり舷側に角度を付け、船首側は絞り、胴を太くし船尾も反り上がるようにしている。木製舟の原型はどれも丸木舟だろうから、サバニも当然そうだったのだ。このサバニ、よくローリングするようだが、限界まで傾いても胴の幅広の部分(舷側9で波を押さえ、復元する能力がある。
沖縄の海人はこれで外洋を走り回り、漁をしてたし、大しけに合えば、海水を入れて半沈させ、人は海へ入りつかまってやり過ごしたとか。また転覆しても起こすことができるようである。

それと、写真のような2ハイを組んだ双胴船で外洋を長距離走っていたともあったし、4ハイ連ねて、牛を運んだりもしたそうである。南洋ポリネシアあたりの舟は双胴のものが多く、外洋を広く走り回っていたそうだから、スンダランドあたりから北上して沖縄に到達した後期旧石器人もひょっとして丸木舟の双胴船を使ってたかも。それとも、フィリピンあたりで使われる小型のバンカと呼ばれるアウトリガー方式の丸木舟のようなものだったかも。

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フィリピンあたりで使われる小型のバンカと呼ばれるアウトリガー方式の舟

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田沼意次が1786年に派遣した蝦夷地調査の報告書の絵図

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発掘されたイタオマチプの船底の丸木舟の部分。穴が空いていてそれと分かる。

この方はまた北海道へイタオマチプを見に行かれ、その写真も載せられていた。海好き、カヌー好きだとやはり古代の舟が気になるのだろう。田沼意次が1786年に派遣した蝦夷地調査の報告書の絵図があったり色々取材されたようである。お借りした絵図の一つは構造がわかりやすいもの。どちらも波に強そうで、サバニに負けてない。ただイタオマチプは帆を小さくし、舟がなるべく傾かないようにしてるが、サバニは帆を大きくし、限界まで舟を傾け、より速度が出せるように考えてあると思う。これはもし転覆した場合のリスク、海水の温度差があるからだろう。日本半周の旅の途中、八戸港で漁師に北緯40度を超えて海に落ちたら助からないと注意されたことがある(まあ現代水温のことではあるが)。

前々回項目のイタオマチプが縄文時代でなく鉄器のある6世紀、弥生時代なのが分かったが、海に漕ぎ出す壁画は事実を描いたものだろう。船首、船尾の反りは荒海での使用に堪えられるもので、これだとかなり沖合まで走れたろうと想像する。それに、手にしているのはシュモク状の取っ手があり、長さから練り櫂兼舵櫂と思われ、練り櫂の能力がどれほどか分からないけど、30年ぐらい前まではこのあたりでも魯船が使われていて、漁師が昔は魯を漕いで小田原から初島ぐらいまで(片道25キロほど)行き、漁をしてたと言ってたから、かなり有効なのではないだろうか。
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