湯河原・真鶴の野生生物を観察し、写真に記録すること。
新崎川河口から白銀林道まで/

2010:1:11:2:3846
こんなごちゃごちゃ要素の多い写真、これまでのように小さいと弱かったな〜/


写真の左右に走る道路は国道135号線で、国道1号線の小田原から伊豆半島へ向けて分岐した道。
その橋の下を流れ、チョロチョロと海へ注いでいるのが湯河原町に二本流れる小さな川の一本で、名が「新崎川」。
川沿いに人家が少ないせいか、河口でも水は案外きれい。

この川は、画面左上角にある標高500メートルほどの白銀林道の白銀橋の下を通り、標高993メートルの白銀山の下あたりを源流とする全長、たぶん3、4キロのもの。
源流まで歩くとすると6、7キロにもなるだろうが、川は直線に近いからそのぐらいと計算した。

また、幕山の下あたりで、少なくとも林道の4、5本の沢と合流している。以前、イノシシの屍骸を見つけた沢もその一つで、これの腐った肉のエキスも山の栄養分としてこの河口へ流れ込んでいるのだ。
ただ、途中に取水口があり、湯河原町の水瓶ともなっているから、屍骸は近いし、発見したとき、ふと大丈夫だろうかと考えてしまった。

この河口から五月頃鮎の稚魚が遡上し、川沿いの道路からそれが見えるが、魚止の堰堤まで距離が短いし、川幅は細いしで大きく育たないようだ。
また、堰堤の上側から幕山下を抜け、白銀橋までの間にはアマゴがいて、以前幕山公園内で小さいのを網ですくったことがある。
ところが、公園近くの川沿いに建つ、地元の小さな広告会社のオフィスの壁に特大の魚拓が貼ってあり、これがたしか30センチオーバーだったのだ。
社員の誰かが昼休みに釣り上げたとか。

そして、最近知ったのが、白銀橋から上にイワナが生息していること。
白銀橋の脇にクルマが止まっていて、釣り人がいたので話をすると、数匹釣ってリリースしたとのこと。
この川、魚が上れない堰堤がいくつかあるし、誰かが過去に放流したものか?(管理する漁協はない)

それと、地元の年配者の話では、昔はこの河口周辺の海にハマグリがいて、川ではウナギやモクズガ二を獲ったと云う。そんで、「まだいるかも」とも。
また、砂浜には小舟があり、地引き網漁もあったのだ。
この網にシラスが獲れたというから、それを狙う回遊魚も入っただろう。川に養分がたっぷりあるのだ。

話は少し変わるが、この川の上流、といっても幕山の麓で、河口から1キロほど遡ったあたりの地名を「鍛冶屋」と呼ぶ。
いまどこにも鍛冶屋さんなど見られないけど、地名になるぐらいだから昔は何軒もあったのだろう。それは、この新崎川で砂鉄がとれていたからのようである。
湯河原は万葉集に詠まれているぐらい歴史は古い。きっとその頃の名残ではないだろうか。

と、ずっと思っていたのだが、気になって町の資料を調べてみたら、山砂鉄や川砂鉄ではなく、鉄鉱石によって始められたのではないかと推測されてます、とあった。
採掘の場所は大石ヶ平の奥で、関東大震災のとき、その跡がほとんど埋もれてしまったらしい。
昔はその近くの新崎川の川底に金屎(かなくそ)(鉱滓〈こうさい)が混じっていたようである。
ということは時期ももう少し新しいかも


まあ、この風景の中にそんな歴史が刻まれているのである。
いつか、この川を河口から源流まで通しで歩いてみたいね。あっ、以前もこの話、どこかに書いたような・・・。

今朝も風が吹いているな〜。

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コメント
この記事へのコメント
40年以上前は、鍛冶屋の辺りは新崎川を挟んでミカン畑だった。

奥湯河原や鍛冶屋はサルを追って歩いたところだが、今、鍛冶屋は様変わりしてしまった。

しかし、この場所から新崎川の河口を見たことがなかった。不思議な感じ!
2013/11/28(木) 10:57 | URL | fukuda,fumio #-[ 編集]
昔は山奥までミカン畑があったようですね。植林地の中に石積みの段々畑跡をよく発見します。

そのころミカン作りは儲かっていて、ミカンもぎに地方から出稼ぎにきていたと聞きました。

写真撮影は埋め立て地からですよ。

2013/11/28(木) 15:11 | URL | take隊員 #-[ 編集]
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